津田沼にかつてあったボウリング場、千葉エースレーンとその周辺にまつわる思い出を拾い集めていく連載。第一回は、エースレーンの創業当時、小学生だったというMさん(54)にお話しを伺いました。
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元々はアカシアボウルって言ってたんですよ。ええ、それが私が小学生のとき突然、千葉エースレーンに変わりまして。
アカシアボールだった当時は、ボウリング場を正面に見て、左側に喫茶店みたいのがあってですね。「来来(らいらい)」っていう、カウンター越しの席がメインの喫茶店みたいなのがあって。来来(くるくる)と書いて「らいらい」っていうんですけど、中華料理屋みたいな名前ですけどね。
そこのカツカレーがみんな家族が好きで、ボウリングというよりは、カツカレーめざしてみんなで夕飯食べにいってたっていうのが、すごい記憶にあるんですよ。エースレーンになったら、もう「来来」の名前はずれちゃって、また別の喫茶店みたいな感じになったので、そのときからぼくはそこは利用してないんですが。
エースレーンにちょくちょく行ってたのは中学生の頃ですね。友だちと土日に集まって、って感じですかね。津田沼には駅の反対側、北口にファミリーレーンっていうのもあって、だいたいその二つが津田沼のメインのボウリング場でしたから。どっちがどっちっていうのは、あんまりなかったですね。単純にどっちが近いかだと思います。混んでたら、もう片方に行くとか、そんな感じでしたね、歩いて行ける距離だったので。
ただエースレーンはボールの穴がですね、これはぼくの個人的な意見ですけど、ボールの指いれる穴がちょっとゆるくてですね。サイズはいろいろ置いてあるんですけど、なんか全部穴自体の入り口のところがちょっと広めになってるっていうんですか。指が入れやすいようになってるというか。ボールがよくすべり落ちちゃうんで、個人的にはファミリーレーンの方がしっくりきて好きでした。
当時のボウリング場は若い人が多かったですよ。人気がほんとにあった。というか遊ぶ場所がほかになかったので、1時間待ち、2時間待ちは、土日だとあたり前でした。待ってる間は、それこそゲームセンターです。だからこそのゲームセンターなんだと思うんですけど。たとえば、部活帰りとか、一人でボーリングやってもしょうがないんで、ゲームセンターでゲームだけして帰るとか、よくありました。
でも、プロを目指してる20代前半の若い人とかもいて、一人で黙々と、夜遅く9時ぐらい投げている。ちゃんとした専用の手袋みたいなのをはめて、プロボウラーめざしてる人が一生懸命、夜まで、もう10ゲームくらいずっと一人で黙々と練習してる。そんな人を見かけたりもしましたね。
高校に入ってからは学区が違うエリアで、そっちでボウリングするようになってからは、エースレーンにはもうほとんど行かなくなりました。地元の友だちとたまに会ったときに利用するくらいで。それも大学に入ったぐらいまででしたね。県外に出ちゃったんで。
卒業して帰ってきた頃には、いつの間にか二階がテニススクールに変わってました。ボーリング場が一階だけになっちゃって、二階がテニススクールになって。ただ二階のゲームセンターはそのまま残ってるって感じでしたね。もうボーリングはしなくなっていたので、だから私のエースレーンの思い出は、高校の前半くらいまでです。
(取材日:2023年3月8日)